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当サイトは、洋服の歴史や背広の歴史・種類、ネクタイの雑学等洋服に関する情報を掲載しています。
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information更新情報

  • 2011/09/21

    サイトリニューアル致しました。
  • 2011/09/28

    『ネクタイのすべて』記事追加しました。
  • 2011/10/04

    『サイトマップ』ページ追加しました。

aboutサイト紹介

  • 洋服の歴史

    洋服が日本に流入する以前は単に「服」と言えば着物を指していましたが、洋服の流入後それまで着られていた日本古来のもの (和服)と新しい西洋の服とを語義上分ける必要が生じ「西洋の服=洋服」と呼び習わされるようになりました。 明治維新以降、日本政府は欧米化の一環として着用を奨励しましたが、戦前は庶民層は和服を着用し、サラリーマン層でも、 職場では洋服を着用しても、自宅では和服を着用することが多かったそうです。 戦後は、冠婚葬祭以外で和服を着用する機会は少なくなります。第二次世界大戦中に、婦人が着用を義務付けられた和服 のもんぺの機能性の悪さが認識されたことと、戦後混乱期に衣料市場が空白になり、そこにアメリカの援助物資の洋服が 流入したことが原因。それでも、1960年代までは男性の家庭でのくつろぎ着としての甚平などの着用は珍しいものではありませんでした。 現代では、ほとんどの国で民族衣装を追い払ってしまっていました。
  • 和服の歴史

    日本の衣服については、はっきりしたことは分かっていません。 数点の書物と、正倉院などに現在残っている資料が、奈良時代の衣服について研究するための主要な資料。 701年に制定された大宝律令と、大宝律令を改めて718年に制定された養老律令には、衣服令が含まれていました。 大宝律令は現在残っておらず、養老律令も現在残っていませんが、令義解と令集義解から養老律令の内容が推定されています。 大宝律令と養老律令の衣服令により、朝廷で着る服が定義され、礼服(らいふく)、朝服(ちょうふく)、制服が定められました。 養老律令の衣服令によると、奈良時代の礼服は、重要な祭祀、大嘗祭(おおなめのまつり,だいじょうさい)、 元旦のときに着る服です。養老律令の衣服令によると、朝服は、毎月1回、 当時朝庭と呼ばれた場所で朝会と呼ばれるまつりごとをするときと、当時公事と呼ばれたことを行うときに着る服だそうです。 武官の朝服には、ウエストを固定するための革のベルトがあったと考えられています。 奈良時代の制服は、特別な地位にない官人が朝廷の公事を行うときに着る服であるという説があります。 大宝律令と養老律令の衣服令は、朝廷と関わりのない庶民の衣服については定めていない。養老律令の衣服令によると、 礼服・朝服・制服の形式・色彩は、それぞれの地位や役職によって違うものでした。 養老律令の衣服令によると、武官の礼服と朝服の規定に、位襖(いおう)が含まれていたそうです。 研究者達により、位襖は、地位によって違う色を使った襖(おう)であることが分かっています。 『古記』によると、襖とは、襴(らん)がなく、腋線の部分を縫わない服。後の時代に闕腋の袍(けってきのほう)と呼ばれる 服とこの時代の襖は、襴がない点と、腋線の部分を縫わない点が、共通しています。 養老律令が制定された718年の時点で、文官の礼服を構成する物の中に、襴が付いた服があったと推定されています。 文官の襴が付いた服は、後の時代に縫腋の袍と呼ばれる服の原形であろうといわれています。
  • 『背広』とは

    背広(せびろ)とはスーツ(suit 聞く(ヘルプ・ファイル))一般を指す言葉で、男子が平服として用いる洋服です。 共布で作った上着とスラックスが一組となったものをいい、更に共布のウェストコートを加えた スリーピース・スーツ(三つ揃い)といいます。上着の下にはワイシャツを着用し、ネクタイを結びます。
  • 背広の歴史

    モーニングコートの裾を切り落とした上着が19世紀のイギリスで生まれました。 イギリスではラウンジ・スーツ、アメリカではサック・スーツと呼ばれ、当初は寝間着・部屋着、レジャー用でした。 しかし19世紀末から20世紀の初頭にかけてアメリカのビジネスマンがビジネスウェアとして着用し始め、その後世界的に普及しました。 上襟(カラー)が折り返された折襟(ギリーカラー)の狩猟用コートがビクトリア王朝時代のイギリスで流行し、 この第1ボタンを外して外側へ折り返された部分が下襟(ラペル)となりました。 その後あらかじめ襟上部を外側へ開襟して仕立てたものがモーニングコートの襟となり、現在のスーツにも受け継がれました。 モーニングコートの裾を切り落とした上着が19世紀のイギリスで生まれました。 イギリスではラウンジ・スーツ、アメリカではサック・スーツと呼ばれ、当初は寝間着・部屋着、レジャー用でした。 しかし19世紀末から20世紀の初頭にかけてアメリカのビジネスマンがビジネスウェアとして着用し始め、その後世界的に普及しました。 上襟(カラー)が折り返された折襟(ギリーカラー)の狩猟用コートがビクトリア王朝時代のイギリスで流行し、 この第1ボタンを外して外側へ折り返された部分が下襟(ラペル)となりました。 その後あらかじめ襟上部を外側へ開襟して仕立てたものがモーニングコートの襟となり、現在のスーツにも受け継がれました。 日本では幕末末期〜明治時代以降着られるようになります。 その頃のスーツはイギリス製、アメリカ製、フランス製が主流でしたが、当時はスリーピース・スーツしかなかったので 当時の日本人が着たスーツはいずれもスリーピース・スーツでした。 ただし、明治時代の日本では男性の洋装としてはむしろフロックコートが主流で、大半の日本人は和装だった。 制服(軍服)としては長らく立襟型のジャケットが用いられてきましたが、 市民服としての背広の一般化に伴い制服として背広型が採用されることも多くなってきたそうです。 第二次世界大戦以前の1930年代頃は3つボタンのスーツが主流。その後次第に「ローリングダウン(段返り)」と呼ばれる、 第2ボタンを止めて第1ボタン部はラペル(下襟の返し)と一緒に開襟する着用方法がアメリカを中心に流行し、 やがて段返り着用を前提に仕立てられた3つボタンスタイルのスーツが登場しました。 その後段返りスーツから第1ボタンが省略され2つボタンスーツが誕生。同大戦後はほぼ2つボタンが主流の座となるものの、 1960年代初めより後半にかけ世界的に3つボタンが流行。その後日本では1990年代半ばより3つボタンが再度普及していきました。
  • 『ネクタイ』とは

    ネクタイとは、男性の洋装で、首の周りに装飾として巻く布のこと。 多くの場合、ワイシャツの襟の下を通し、喉の前で結び目を作って体の前に垂らします。 制服として女性がネクタイを着用する場合や、カジュアルなファッションアイテムとしてネクタイを着用する場合もあります。
  • ネクタイの歴史

    現在のネクタイの原型ができたのは17世紀頃とされています。 ネクタイの起源として伝わる有名な説として、ルイ13世を守るためにクロアチアの兵士がフランスを訪れた際、 彼らが首に巻いていたスカーフが起源、というものがあります。 彼らは無事な帰還を祈って妻や恋人から贈られたスカーフを首に巻きましたが、それを見たルイ14世が興味を示し、 側近の者に「あれは何だ?」とに尋ねたところ、側近の者はクロアチアの兵士について尋ねられたと勘違いし、 「クロアチア兵(クラバット)です」と答えたため、その布をクラバットと呼ぶようになったという逸話。 この説には、14世紀にはすでにフランスでcravateという語は使われていたという反論があるそうです。 どちらにせよ、1660年ごろに人気のあったクラバットは、単に幅広のネッカチーフを首に巻いたものに過ぎなかったようです。 現在でもフランス語などではネクタイを "cravate"と呼びます。 またこれから18世紀にかけて、クラバットに限らず首に布を巻くスタイルは兵装としても用いられ、一般に広まりました。 この形のクラバットは第一次世界大戦頃までの一般的な男性の正装となります。

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